花様年華-oklog.

BTSのコンセプト、花様年華に関する考察記事をメインに書いています。個人的な解釈になりますが、参考にしてくださると嬉しいです。2022年現在、少しずつ記事を編集中です。ご了承ください。Twitterは諸事情により閉鎖しております。

LOVE YOURSELF

Introduce my roots.

⑰花様年華 考察<MAP OF SOUL:THE NOTES 翻訳>

※以下、花様年華Note・漫画 花様年華<SAVE ME>ネタバレ注意

 

今回は『MAP OF SOUL :PERSONA』と『MAP OF SOUL :7』に封入されていた二つのNOTEの翻訳を載せてみます。

次回これを元にした考察記事を書こうと思っています。

 

注意

・自力で翻訳したので誤訳の可能性有 

・意訳を含みます

 

 

 

 

 

9年8月3日 ホソク(7歳) 

目をこすって起きた。兄さんたちが静かに付いて来いというジェスチャーをしてみせた。もっと寝たかったけど、ただ兄さんたちの言うことに従った。そっと部屋を出て廊下を過ぎた。あたりは真っ暗だった。何時かと思ったが、就寝時間からずいぶん過ぎたということ以外、何の情報もなかった。階段を上がって屋上に向かう鉄の扉を開けた。音に兄さんたちが驚いて立ち止まり、僕もそうだった。周りを見回した。

 

屋上に群がって座った。「僕たち、なんでここに上がってきたの?」僕の質問に長兄が言った。「ちょっと待ちな、チョン・ホソク」その瞬間だった。ドーンという音がして北の空が明るくなった。びっくりして目を閉じながら、身をすくめた。何か焦げ臭いもした。「うわぁ」誰かが叫び、長兄が静かにしろと叱った。僕は薄目をあけて、北の空を見上げた。再びドーンという音がして、夜空に星たちが現れた。「星じゃなくて花火だよ」兄さんが教えてくれた。

 

花火は続けて燃え上がった。僕は屋上の地面に横になって空から飛び散る星達を、花々を見上げた。「チョンホソク、泣いてる」兄さんたちがからかう声が聞こえた。「いいや」僕は袖で目じりを拭いた。無性に涙が出た。

 

 

 

 

10年2月28日 テヒョン(7歳)

スーパーの前に誰かがしゃがんでいた。初めて見る兄さんだった。トンイ*1と遊んでいた。撫でてあげたり、パンのようなものをあげたりしていた。少し目が合って驚いて、前を向いて歩いた。路地に身を隠して顔を出してみた。あーあ。誰だよ。ポケットに手を入れ、ハムとトーストを入れたビニール袋を触ってみた。ちくしょう。苦労して母さんに内緒で残したのに。

 

「あ、テヒョンが来た。でもここで何してるの?トンイと遊びに来たんじゃないの?」驚いて飛び上がった。スーパーのおじさんだった。さっきの兄さんが頭をもたげて俺を見ていた。くそ、おじさんのせいで。どうせバレたんだ、兄さんに近寄った。「兄さんは誰ですか?」「僕?」兄さんは、何を言えばいいか分からないというような表情で俺を見た。「どうしてトンイと遊ぶんですか?」「うん?」兄さんはまた何も言わなかった。

 

そうして兄さんと話をするようになった。「俺は父さんがたくさん稼いで家を買って帰って来たら、子犬を飼って貰ってトンイとも一緒に住むつもりです。だから兄さんは欲張らないで下さい」兄さんは頷いて言った。「いいね」「兄さん家はお金が無いんですか?だから子犬が飼えないんですか?」兄さんは「お金?」と言って俺の方を見た。それから、そっぽを向いて答えた。「子犬は飼えない」 「父さんにおねだりしてみて下さい。うちの母さんの言葉では、父さんたちはねだるのに弱いそうです」兄さんはただ頷きながらトンイをなでた。 そして呟いた。 「いいな」俺はまた尋ねた。「それで兄さんは誰なの?名前は何ですか?」兄さんは振り返らずに答えた。「僕?キム・ソクジン」

 

 

 

 

12年9月30日 ジョングク(7歳)

人が集まっている所へ向かって歩いて行った。何事だろう。遊園地でも学校でもないのに、人々がそんなに一ヵ所に集まっているのは初めてのような気がする。ざわめく音が恐ろしく感じられた。「これはどうしたの?」「恐い、どうやって生きればいいの?」誰かが通りすがりに言った。僕は人混みの間を縫って進んだ。恐ろしくもあったが、それ以上に気になった。

 

とてつもなく大きな穴だった。そんな穴が地面に空いていた。「シンクホール*2だ」と誰かが話した。僕は少しずつ前に進んだ。その穴の中に何があるのか見たかった。 真昼なのに、穴の中はよく見えなかった。 土が崩れ落ちた面に木の根のようなものが飛び出ているだけだった。もう一歩前に出た。「気をつけろ」誰かが後ろで叫んだ。運動靴の先が穴の中に入った。土が崩れ、重心が揺れた。驚いて後ろに下がった。その瞬間だった。中から何かが鋭くきらめいたみたいだった。それは光のようでもあり、また別の穴のようでもあった。

 

 

 

 

15年5月21日 ナムジュン(13歳・小6)

こそこそと玄関に入った。取っ手をしっかり掴み、慎重に回して様子をうかがった。何の音も聞こえなかった。 顔を突き出しながら見回したが、家の中が真っ暗だった。一歩、中に入った。「母さん」呼んでも誰も答えなかった。電気をつけようと、また周りを見回した。9時過ぎ頃。家に誰もいないはずがなかった。 「母さん」もう一度呼んだが、静寂しかなかった。

 

いつもより家に遅く帰った。本来は学校が終わればすぐにでも母を手伝わなければならなかったが、一度だけでも友達と遊んでみたかった。それで連絡もせず遅くに帰って来た。 ところが、 家には誰もいなかった。妙に冷ややかな気分になって、手で腕を包み込みながら暗い居間にただ立っていた。

 

すると突然電話のベルが鳴った。寒気がしみた。そこで電話のベルが鳴っているのに、なんだか出ちゃいけないような気がした。電話に出たらすべてが変わってしまいそうな、二度と今の俺に戻って来られないような不吉な気持ち。しかし、電話は鳴り続け、俺は結局、電話の前まで歩いて行った。そして受話器を取った。

 

 

 

 

15年7月25日 ユンギ(14歳・中1)

「ユンギヤ」リビングルームに入るとすぐにピアノの前に座った。汗を拭く暇もなかった。ベタつく手をTシャツで拭った。母が楽譜を広げたが、よく見えなかった。目をしきりに瞬かせた。さっきまで1時間炎天下の下を走っていた。心臓がドキドキと鳴って自分の呼吸もよく聞こえなかった。汗が背中を伝い腰まで濡らしていた。指が発作的に震えた。

 

「ミンユンギ」母の声に我に返った。「ショパンもまともに弾けないあなたが、今作曲をする時期?」母が楽譜をパタパタと叩きながら言った。自分が今まで何を弾いていたのか、よく分からなかった。また最初から。母は低い声で言った。もう1回。もう1回。もう1回。同じページを弾いて、また弾いた。まだ冷めない身体にしきりに汗が流れた。頭の中がぼんやりとして吐きそうだった。だからだったのかもしれない。俺は楽譜を無視し、母を無視し、俺の中の破裂しそうな感情を指に込めた。母が俺の手を掴み鍵盤から外しながら言った。「そうじゃない!」

 

もうやめてください。俺は立ち上がりながら言った。母が凍りついたように俺を見た。やめてください。やめてくださいよ。俺は思いついたままに言葉を吐き出し、その場で頭を掻きむしった。そして結局、ピアノに向かって母のトロフィーを投げた。鍵盤のひとつが外れ、頬を掠めた。

 

 

 

 

17年8月20日 ジミン(14歳・中1)

のどかな日だった。空は青く空気は涼しかった。僕は両親と一緒に車に乗って家を出た。車からは楽しそうな音楽が流れて、後部座席の窓を開けて外に手を差し出した。黄色いイチョウの葉が雨のように降り注いでいた。落ちるイチョウの葉をつかもうと素早く手を動かしたが、なかなか成功できなかった。母さんが振り向いて言った。「ジミン、怪我するわよ。怪我でステージに上がれなくったらダメよ」

 

僕は舞台を歩いた。頭上から真っ白な照明が降り注いだ。どんどんとリズムに地面が鳴った。僕は多くの友人たちとダンスをした。一緒に飛び上がって一緒に着地し、再び左に曲がって互いに向かい合った。友人も、僕も息苦しかった。でもお互いを見ながら笑った。拍手が沸き起こった。客席の方へ出て頭を下げた。母さんと父さんが立ち上がって拍手をしていた。僕を見て笑っていた。

 

目が覚めると、病室の天井を見上げていた。涙が出た。夢だと分かっていたけど、覚めたくなかったのに。もう少しだけ、その拍手の中に、そのイチョウの葉っぱの下にいたかったのに、相変わらず朝はやってきて、夢は消えた。 

 

 

 

 

17年5月2日 ナムジュン(16歳・中2)

路地に差し掛かったら、道端に家具や家財道具が積まれているのが見えた。「あれはどういうことだ」父が息を荒く吐きながら言った。父と一緒に病院から帰るところだった。バス停から家まで100m余りを歩くのも、父は苦しそうだった。家まで一目散に走って行った。壁に沿って積み上げられた家財道具の裏側にしゃがんでいた母が、俺を見て体を起こした。「ナムジュン、私たちはどうしたらいいの?」母は、弟が滞っている家賃を受け取りに来た家の息子と喧嘩になったと話した。

 

街のスーパーマーケットの裏の倉庫に父を連れて行った。俺が家具を運ぶ間、母が冷めた食べ物を片付けた。二部屋の家にあったものが倉庫に積み重なった。捨てたいものもあったが、そうするためには金が必要だった。全てを終えた時には夜だった。背中に汗が流れた。母が何でもいいから食べなさいと箸を握らせてくれたが、何も喉を通らなかった。

 

倉庫が息苦しく外に出て、スーパーマーケットの縁側に腰掛けた。「ナムジュン。ナムジュンはどこに行ったの」母の言葉に俺は「どうして分かったんだ」と叫んだ。ナムジュン。ナムジュン。ナムジュン。懲り懲りだった。弟にめげずに生きろと言った事を後悔した。何日間は倉庫で耐えれたとしても、その次はどうすればいいのか。何も思いつかなかった。スーパーのおじさんがビールを1缶置いて中に入った。

 

 

 

 

181210 ジミン15歳・中2

もうすぐだという母の言葉に、袖で車窓の結露を拭いた。窓の外に”ソンジュ第一中学校”という表示板が見えた。母は「ムンヒョンにはもう行く学校がない」と「ソンジュ第一中学校が僕を受け入れてくれたことがどれだけ幸いだったか分からない」と言った。入院と退院を繰り返しながら、複数の学校を転々とした。今度の学校ではどれだけ長く堪えることができるか。そう考えているうちに校門を通り過ぎてグラウンドが現れた。寒いためか誰もいなかった。母は鉄棒とブランコがある場所に車を止めた。

 

車から降りて鉄棒を眺めた。幼い頃を振り返ってみると、比較的生々しく思い浮かぶ記憶がひとつある。童話に出て来そうな青空と白い雲が、恐ろしいほどの速度で僕に飛びかかった記憶。プルコッ樹木園での出来事がある前の僕は、風変わりなほど遊び場が好きだった。母の話によると、朝出かけて夕方になるまで遊び場で遊んでいたらしい。一番好きだったのはブランコだった。勢いよく足を踏み鳴らすと、目眩がするほど空に近づいた。恐ろしいながらも、目眩がするような、その気持ちが良かった。

 

ある日"ブランコに乗って一周するとどんな気持ちになるのだろうか"と思った。村の子供たちの中で誰もできなかったことでもあった。友達に僕の背中を力一杯押せと言って、身体中に力を入れて高く、もっと高く上がった。青い空と白い雲が僕に飛び込んできた。そして一番高く登った瞬間、僕はついに目眩を起こしてブランコから落ちてしまった。目覚めた時には、砂場に横たわっていた。砂が一握り口の中に入り、膝が擦りむけて血が出ていたようだが、不思議と痛くはなかった。ブランコで一周することができなかったことが悔しいだけだった。

 

他人の記憶を盗み見るように、ブランコに乗っていた自分の姿を思い出した。一生懸命ブランコに乗っていたパク・ジミンは僕の知らない所で、その姿そのまま、その性格のまま育っているのではないだろうか。そんな思い出のブランコを眺めていると、母の呼ぶ声が聞こえた。学校の玄関に向かった。ソンジュ第一中学校。僕の5番目の学校だった。

 

 

 

 

19315日 ユンギ(18歳・高2)

今日に限って飯が美味かった。大したことない学校給食なのに変だった。でもそんな素振りは見せなかった。そんなことは俺に似合っていなかった。俺は相変わらず椅子に適当に座り、スプーンを持ち上げるのもめんどくさそうに指の間に掛けたままだった。それなのに、確かに今日の飯は美味かった。テヒョンとジョングクがカーテンを引く、席を変えると騒ぎ、その風にホコリが吹き飛ばされた。ナムジュンが「ご飯を食べる時だけでも静かにしよう」と叫んだ。スプーンを持ち上げながら考えた。こんな気持ちで飯を食うのは久しぶりだな。

 

記憶する限り、俺の家族の食卓には会話はなかった。”おいしい”とか”もっとくれ”とか”よく食べた”という話は出なかった。食事は俺の家族には、日常生活を維持するためにしなければならないこと。それ以上でもそれ以下でもなかった。「ミン・ユンギ。食膳で騒ぐな」父がそう言ったのがいつだったのか、今は覚えていない。ごつんと箸を下ろす音だけが大きく残っている。声を荒げたわけでも、起こったわけでもなかった。いや、俺を見向きもしなかったようだった。それでも俺は黙った。話をやめて代わりにご飯を大きく一さじ口に入れた。そうして口の中の肉を噛んでしまった。少し生臭い皮膜ができた。痛さで涙も出ていたようだ。けれども俺は痛いと言わなかった。食膳では話してはならなかった。俺は血っぽいご飯を無理やり齧った。

 

誰かが俺のおかずを取って行った。思わず顔をしかめたが、嫌だったりイライラしたわけではなかった。ただそれが俺の普通の反応だった。ホソクが「ユンギ兄さんが怒った。テヒョンお前どうするんだ」と冗談を言い、テヒョンは大袈裟に申し訳ないフリをした。一寸も違わない、ホソクとテヒョンらしい言葉だった。「いいよ。お前全部食べろ」俺も知らないうちに口に出た。それからまたワイワイ話が交わされ、笑いが出た。誰も気づかなかった。俺が食事の途中で言ったということを。

 

 

 

 

2067日 テヒョン(17歳・高1)

間抜けなバカ犬め。その一瞬も待てないなんて、ぼんくらめ。街中を走り回ったが、トウフ*3を見つけることはできなかった。時間を確認すると20分が過ぎていた。たった2ヶ月の子犬が20分間でどこまで行けるだろうか。初夏の暑い日に汗がぽたぽたと落ちた。喉が裂けるほどトウフを呼ぶと、喉の奥がざらざらとした。ちょっと携帯を確認している間に首輪を外した。そして振り返ると、トウフは消え去っていた。再び走り出した。路地裏を見て、開いた門の中も覗いてみた。トウフ、と声を張り上げて叫んだ。通り過ぎる人が振り返っただけだった。

 

走っている間ずっと”バカな子犬だ”とトウフを叱責した。駄犬だからだと言って怒ったりした。しかし、その瞬間にも、俺はそれがトウフのせいではないということを知っていた。それは俺の過ちだった。よそ見をした。首輪を外すのを見ていなかった。重要でもない話をしながらクスクス笑っていたせいで、トウフが消えたことにも気づかなかった。トウフがわざと逃げたのか。そう思いつくと俺は知らぬうちに立ち止まっていた。トウフは俺と一緒に過ごすのが楽しくなかった。一緒に暮らすようになったのは、俺だけに嬉しいことであって、トウフにはただ家族との別れで、それ以上でもそれ以下でもなかったのかもしれない。

 

”カチッ”という音と共にトウフの吠える声が聞こえたのは、まさに次の瞬間だった。最初は幻聴だと思った。ところが、幻聴でも幻でもないトウフが、路地を曲がって走ってくるのが見えた。わずか2ヶ月の小さな体が坂道を駆け下りるために、耳は後ろに飛ばされ、口は精一杯開いていた。トウフ、大声で叫びながら膝を曲げて姿勢を低くすると、トウフはすぐに俺に向かって飛び上がった。「どこに行って来たの?どうやって来たの?俺の匂いを覚えてたの?」やっと胸に抱いたこいつが、俺の頬をペロペロと舐めた瞬間、不思議な感情が込み上げた。トウフには俺が頼れる唯一の家族だね。俺も誰かの頼りになるんだ。誰かの帰るべき場所になれるかもしれないな。俺はもどかしそうに俺の懐から抜け出そうとするトウフを、より一層抱きしめた。

 

 

 

 

2152日 ジョングク(16歳・中3)

夕焼けが深まるひだまりを走った。ピンクと紫が入り混じった空に向かって、自転車のべダルを踏むと、重いだけの自分の日常から抜け出せるような気がした。今日も母が夕食の支度をする音が聞こえるや否や、自転車を引いて来た。誰とも会いたくなかった。僕に笑ってくれる人が一人もいない所、それが僕の家だった。一緒に暮らすからといって、家族というわけではなかった。家の外に出るからと言って、変わることはなかった。兄さんたちは一人二人と去って、同じ都市にいても連絡をしなくなってかなりの時間が過ぎた。もう家の外でも笑ってくれる人はいなかった。

 

日が暮れてまだ月が昇る前、川辺は暗くなり、自転車に乗って走るにつれて、川辺の風景も変わった。公園として造成された道が終わり、廃車やオートバイ、タイヤのようなゴミでいっぱいの場所が現れた。僕は橋の下の柱に自転車を止めて、川辺に降りた。川の向こうには、火を起こして酒を飲み、角材を振り回す子供達がいたが、こちらには誰もいなかった。こんなにめちゃくちゃなところには人が来なかった。僕に誰も訪ねてこないのも、そんな理由からなのだろうか。誰も訪れないこの空間に、完璧な闇の中で一人でいる時間が、僕は楽だった。この時間が永遠に終わらなけれないいと思った。

 

 

 

 

2189日 ソクジン(21歳)

海に沿って降りながら写真を撮った。海岸の街の様子は絶え間なく変わるが、海はどこでも変わらない。車から降りて海辺に下りた。砂浜に座って、ビューファインダーでこれまでに撮った写真を見た。撮った場所も、撮った時間も違うが、すべての写真が同じだった。空と海が真ん中にあった。

 

逃げるようにソンジュを発って、LAに来てから1年が過ぎた。幼い頃過ごした母の実家は、馴染みが薄く楽でもなかった。感情を隠して自分の居場所を見つけた後、少しぎこちなさそうな笑みを浮かべるのだ。父を通じて体得した”いい人になる”こと。それはほとんどの場合に効果があり、今回も同様だった。

 

ここに来てから、人を撮らなかった。特に理由はなかった。その代わり、海を撮った。変わらないものを撮りたかったのかもしれない。振り返ってみれば面白いことだった。彼らは何も変わっていない。僕が変わったわけでもなかった。僕は元来そんな人間で、隠していたのがバレただけだった。高校の時に撮った写真は一つも持ってこなかった。あの頃の僕は、今まで生きてきた僕と違った。感情を隠さず、自分の居場所を探さなければならない理由もなかった。ぎこちない笑みはそのままだったが、他のことがあった。その時、僕は心から笑っていた。

 

カメラを持って海を撮った。曇った天気のため、海も空も似た色だった。接した水平線も曇っていた。海を撮った数多くの写真の中で同じものは1枚もなかった。天気が違う、光が違う、風が違った。僕の視線は違うし、心が違っていた。今日撮った写真も同じだった。高校時代に撮った写真も同じだった。写真、そこには撮る人の視線と心が写る。多分、僕がその時代の写真を1枚も持ってこなかった理由はそれだろう。あの時の僕に向き合うのが怖かった。その他の僕が懐かしくなるのではないかと怖くなった。皆、どう過ごしているだろうか。僕についてどう思うだろうか。僕はその友達の写真を箱に入れ、蓋をしてしまった。

 

 

 

 

22年2月1日 ソクジン(22歳)

まもなく着陸するというアナウンスが流れた。窓の外にはまだぼやけた雲しか見えなかった。LAでの時間を振り返ってみた。海があってよかった。その他に思い浮かぶことはあまりなかった。飛行機が大きく旋回したと思えば、すぐに都市が目に入った。ソンジュ市に帰ることになったのは、突然のことだった。父は電話で話した。帰って来なさい。もちろん理由はあるだろう。父は訳もなく動く人ではない。けれども、その理由を僕に話してはくれなかった。行けば分かるだろうから僕も聞かなかった。いや、ソンジュに帰ってくるのは、突然のことではなかったのかもしれない。全てすでに決まっていたのに、僕だけ知らなかったかもしれない。

 

「あそこが私の家?」前の席に座ったちびっ子がの声が聞こえた。僕は窓の外を見た。「いや、うちはあの川の向こう側」父らしい人が答えた。家。心の中でつぶやいた。家に帰るという感じはなかった。だからといって、LAが家だったわけでもない。LAとソンジュ、二つとも僕の住所であって、家ではなかった。

 

 

 

 

22411日 ソクジン(22歳)

また降り注ぐ日差しの中で目を覚ました。瞼の向こうには まだコンテナから燃え上がる炎と死んでいたナムジュンの姿が残っていた。今回も失敗した。腕で目を覆いながら考えていた。ナムジュンを救う方法はいくつ残っているのか。9月30日の状況をゆっくりと振り返ってみた。特に感傷はなかった。焦りも怖さもなかった。

 

初めてコンテナの事故が起きて以来、何度もタイムリープをした。しかし僕はまだ なぜループが起こっているのか、どうすれば解決出来るのかが分かっていなかった。いや、それよりもこの全てを終える手がかりである「魂の地図」が何かも見つけられなかった。魂の地図。その言葉を初めて聞いたのは、数回失敗を重ねた後だった。魂の地図を見つければ、この全てを終えることが出来るだろう。魂の地図?それは何だ?問いただしてみたが、答えは返ってこなかった。代わりに、こんな言葉が残された。ヒントには対価が伴うだろう。少し離れた先にあるナムジュンのガソリンスタンドが目に入った。ゆっくりとウィンカーをつけ 車線を変えた。一つだけを考えていた。9月30日の事故を防ぎ、ループを終わらせる。ただその目標だけに向かって進む。その過程で問題が起きても、誰かが怪我をしたり疎外されたとしても仕方のない事だ。そんなことに気を取られていると 目的を果たせない。全員を救うことよりも重要なのは この世界から生きて抜け出す事だ。それが数えきれないループが僕に与えた教訓だった。

 

 

 

 

22411日 テヒョン(19歳・高3)

黒いスプレー缶で線を描いていった。 乾いた顔、言葉を失ったような口元、乾いた…。夢でみた顔がぶっきらぼうな線で灰色の壁の上に姿を現し始めた。 今度は瞳を描く番だった。 俺は手を伸ばしたが、止めて一歩後ろへ退いた。                  

 

頭の中で顔は鮮明だった。 瞳も鳥肌が立つほどはっきりと見えた。 しかし、どう表現すればいいか分からなかった。 喜びや悲しみといった感情が全て吹き出された、無関心と冷たさだけ残った瞳。それは幾多の色であり、ただ一つの崩れ落ちた色であり、何も話さいからか、むしろもっと多くの話をしているような目だった。 俺はスプレー缶を何度も取り直したが、結局瞳を描くことは出来なかった。          

 

ソクジン兄さんを最後に見てから2年が過ぎた。アメリカに行ったという話は聞いたが、それ以外は何も知らない。兄さんが夢に出たのも初めてだった。たまにどうしているんだろうと思ったことはあった。俺たちの教室であったこと、兄さんが校長と電話していた瞬間を思い出したりした。兄さんのことは良い記憶も、理解できないこともあった。だが、どの瞬間も夢の中で現れたような冷たく乾いた姿ではなかった。            

 

壁に描かれた顔を見上げてみた。 確かににソクジン兄さんだった。だが、俺が知っていた兄さんではなかった。どうして急にそんな夢を見たんだろう。その夢は不吉な場面の連続だった。兄さんの顔は、その全ての不幸を感情ない顔で眺めていた。俺はスプレー缶を持った手を落とした。夢で感じたその涼しさが、再び首を引っ張る気分だった。遠くからパトカーのサイレンの音が聞こえてきた。

 

 

 

 

22430日 テヒョン(19歳・高3) 

ショックでしばらく動けなかった。そこの車の中にソクジン兄さんが座っていた。兄さんが帰って来たというのはナムジュン兄さんから聞いていたが、直接顔を見るのは初めてだった。兄さんは携帯で何かを探していると、顔をしかめた。それ自体は何も変ではなかった。顔のどこかが以前と大きく変わったわけでもなかった。俺はショックを受けた理由を自分でも説明できなかった。冷たい。乾いた。空しい。どんな単語でも兄さんの顔を表現するにも十分ではなかった。いや、ちっとも似ていなかった。春の日だったが、急に寒気がした。自分でも気づかないうちに身震いした。兄さんは俺が夢で見た、まさにその顔をしていた。

 

背を向けたのはジョングクが角を曲がったからだった。ジョングクは切羽詰まった顔でうろつきながら、路地を横切って走って行ってしまった。その時、ソクジン兄さんがイライラした身振りで車のドアを開けて出て来た。遠くて正確に聞こえなかったが、口元から見ると”面倒なことになった”と呟いているようだった。ソクジン兄さんは、少し離れたモーテルの方へ近づき、入り口に何かを落とし、ジョングクが走った方向を見つめた。

 

 

 

 

2252日 ユンギ(21歳)

長引く傷痕だと言った。時間をかけてゆっくり回復していこうと、それでも範囲が広くないため、治療さえきちんと受ければ今よりはずっと良くなるだろうと話した。入院三日目、医師がガーゼを剥がすと火傷の痕が姿を表わした。 赤黒くなった左腕皮の肌。 自分の体だが、自分の体のようではなかった。 ライターを落とした瞬間は、これ以上のものも受け入れる準備ができていた。でも、これくらいの傷痕で。矛盾しているように感じられた。

 

少し痛いでしょう。 ドレッシングを始めるとすぐに傷口から血がほとばしった。白いガーゼを濡らす血は火のようだった。 その日、僕を飲み込むかのように揺れる真っ赤な炎、我慢しようとしたが呻き声が流れた。 医師は出血してくるのは良いサインといった。 死んだ肉の下に新しい肉があるという証拠だと。 痛い中にも空笑いが出た。 新しいものはなぜ、死んだ後にできるのか。 もしあの時に死んでいたらどうだっただろうか。ひょっとしたら、それが全てのことを新たに始める唯一の方法だったのか。

 

腕を見下ろした。 新しく巻いたガーゼから血が裂けるように滲み出た。 俺は血痕を火と呼び、医師は再生だといった。 誰の言葉が正しいのか。

 

 

 

 

22510日 ホソク(20歳)

気がつくと橋の上を歩いていた。日差しが眩しくて目がまともに開けられなかった。僕がどうやってここまで来たのか。考えると目眩がして視界がガタガタと動いた。膝が折れたかと思いきや、橋を行き来する車のクラクションの音が耳をつんざいた。目の片隅に陽だまりの中に真っ黒な川が見えた。

 

養護施設のおばさんは、母を亡くした僕が初めて頼れるようになった人だった。熱に苦しみ目覚めた夜明け、養子に行く友人を見送ったとのがらんとしたベッド、ナルコレプシーの発作で病院で目覚めた時、小学校の入学式から高校の卒業式まで、僕のそばで守ってくれたのがおばさんだった。

 

そんなおばさんが病気になった。普段通りにかかってきた電話の声は、養護施設にいる弟のものだった。どうやっておばさんの家まで行ったのかはよく思い出せない。覚えているのはおばさんの家、開いた窓越しに見えた顔だけだった。おばさんは誰かと会話をしながら笑っていた。”痛い”という言葉や”手術を受けなければならない”という言葉、”望みは薄い”という話は全部嘘のように感じた。一瞬目が合いそうになり、かろうじて身を隠した。顔を見ると涙がはちきれそうになった。おばさんまでも”僕を見捨てていくのか”と恨みの言葉も吐きそうだった。足を進めた。誰かが呼んでいるようだったが振り向かなかった。

 

大型バスが風を起こしながら僕のそばを通った。遠ざかるバスを見ながら呟いた。母と別れた日、その日もあんなバスに乗っていた。おばさんも母のように僕のそばを離れることになるだろう。「僕はまた大切な人を失うことになるのかな」頭をもたげると日差しが差し込んだ。そして世界が崩れ始めた。タイヤがアスファルトを踏んで通り過ぎる摩擦音と、川に沿って吹いてくる風、おばさんと共にした数多くの記憶が、その日差しの中で崩れた。僕は床に倒れた。

 

 

 

 

22年5月28日 ホソク(20歳)

海から帰ってきた後、僕たちはあまり連絡を取り合わなかった。 特に理由はなかった。ソクジン兄さんとテヒョンが口喧嘩したようで、帰る途中でジョングクが別の道に行ってしまったが、それが疎遠になった理由ではなかった。 じゃあ、何が理由だったのか。  だからといって、僕から先に連絡をすることも出来なかった。特別な理由がないこと。もしかしたらそれが理由でもあるような気がした。             

 

あの日を振り返ってみると、いつもいきなり吹いてきた砂風が思い浮かんだ。 ソクジン兄さんが展望台に上がって、テヒョンが後について上がった後、僕たちは手の甲で日差しを遮って展望台を見上げた。 いつかこんな事があったような気がして、不思議な不安が込み上げた。 「兄さん。以前来たところですよ。願いが叶う岩があった場所。それがここみたいじゃないですか?」ジミンの言葉に少しの間、周囲を見回した。まさに次の瞬間だった。テヒョンとソクジン兄さんが展望台の下まで落ちそうになったと思ったら、砂風が吹き始めた。両腕で顔を覆い、目をぎゅっと閉じた。展望台の上で何が起こっているのか恐ろしくて焦ったが、吹き荒ぶ砂風の中で目を開くことは考えられなかった。

 

風が鎮まり顔を上げると、ソクジン兄さんが展望台から降りてくるのが目に入った。展望台の上のテヒョンが首を垂れたまま、その姿を見ていた。 展望台から降りてきたソクジン兄さんは、そのまま車を出発させた。 僕は一歩足を踏み出したが、それ以上は何も出来なかった。             

 

その夜、僕たちもソンジュに帰った。 ソクジン兄さんが先に帰ってしまうと、僕たちは夜を過ごす宿も、家に帰る車もなかった。 帰ろうとと先に言ったのはナムジュンだった。 みんながっかりした目つきだったが、無理に足を運んだ。 僕たち皆、ナムジュンがどうにかして計画通りに海の旅を続けようと言ってくれることを願っていたのかもしれない。 だが、ナムジュンは家へ帰ろうと言い、そうして僕たちの旅行は終わった。浮かれながらも待っていた海の旅は台無しになった。

 

 

 

 

22529日 ジミン(19歳)

机の上に薄い色の筋が落ちた。塾の名前が書かれた窓を潜って来た光だった。講義室の前では講師がマイクを持って騒いでいた。僕の耳にはなかなか入ってこなかった。僕は塾の一番後ろの列の隅で首を深く曲げ、指の間から抜ける光を何とか掴もうと指をじたばたとさせた。

 

病院から出て来たからといって、何か解決したわけではなかった。むしろ原点から数歩後退りした気持ちだった。”高校の卒業証書もなしにどうするの。検定試験塾にでも通わなきゃならないんじゃない”という母の言葉に、押されるように塾に向かったのも、そんな理由からだった。返す言葉がなかった。今の僕はしたいことも、出来ることもなかった。

 

塾に向かう間、終始心臓が締め付けられていた。再び勉強を始めるのも負担だが、見知らぬ人に囲まれなければならないのが何よりも怖かった。誰かが僕について調べたらどうすればいいのか。なぜ高校を卒業できなかったのかと聞かれたら何て答えるんだ。記憶の向こう側に押して込んでいた学校での時間が恐ろしく思い出された。

 

 

 

 

22530日 ソクジン(22歳)

与えられたヒントは一つだけだった。「魂の地図」それが何なのか。その為に何をすべきか、見当もつかない不慣れなフレーズ。それでもその時、僕はとにかく何かを始める地点が必要だったし、「魂の地図」がそうになってくれることを期待した。しかし、そうではなかった。数えきれない程のループを繰り返しながら「魂の地図」について調べたが、何も手に入れることは出来なかった。

 

振り返ってみれば、この行動を始めた時からそうだったようだ。”あらゆる失敗と過ちを正し、みんなを救えると信じるか?”この質問に対して頷いた時、僕はこれからどんな目に遭うのか、少しも分かっていなかった。

 

本棚の埃いっぱいに覆われた本たちを後にして古本屋を出た。階段を上がって路地に出ると、桜が散っていた。ふと、ここに来たことがあったような気がして振り返った。地下にある本屋の入り口は薄暗くて、看板さえよく見えなかった。違うかな。他の本屋と混同したのかな。「魂の地図」についてのヒントを見つける為に、数多くの古本屋や図書館を巡った。インターネットの書誌資料とキーワードを全て探したのは言うまでもない。そんな中、もしかしたらこの店にも立ち寄ったのかもしれない。それともただ似たような本屋かもしれない。

 

路地の入り口に止めておいた車へ向かった。エンジンをかけハンドルに手をかけたが、何処へ行けばいいか分からなかった。

 

 

 

 

2264日 ソクジン(22歳)

父さんの書斎に入ると、目に入る絵が一つある。 大海原、飲み食いもなく、羅針盤も希望もない捨てられた人々。のどの渇きと飢え、憎悪と恐れ、恐怖と欲望にお互いの血を吸い、お互いを殺し合い、そうすることで自分も死んでいく人々。

 

幼い頃、僕はこの絵が恐ろしくて書斎にはあまり入らなかった。 父さんはなぜこのようにぞっとする絵をかけているのか思った事はあったが、時間が経つにつれ、絵は次第に書斎の一部と認識され、恐れの対象にも悩みの対象にもならなかった。

 

代わりに他の恐れができた。 それは父さんの書斎の中のドアの向こう側の部屋だった。 ドアや部屋自体は何一つ違わなかった。鍵やドアロックで施錠されているわけでもなく、その向こう側も書斎の延長であるだけだった。 あえて特別な点を探そうとするなら、本がとても多いということくらいで、父さんが高校の頃から集めていた資料と本が本棚いっぱいに並んでいた。その部屋は「奥の部屋」と呼ばれていた。

 

奥の部屋は父さんが一人で考えをまとめたり、何かを構想する場所で、父さん以外は誰も入らなかった。 僕はたった一度だけ奥の部屋に入ったことがあるが、幼くても分かった。その部屋は単に本を積んだ書斎ではなかった。  大した順序もなく並べられた本、無造作に積み上げられた箱と書類は、人間的だった紙特有の温もりは感じられず、絵や写真のようなものにさえ感情が含まれていなかった。 部屋の真ん中に立って本棚を見上げるだけで、僕は全身が壊れそうな萎縮を感じた。        

その部屋に入ったと叱られた記憶は残っていないが、いつからか僕はその部屋に入らなかった。 一度や二度ドアの前まで行ってみた。しかししばらく見上げてから足を回しただけで、取っ手を回すことは考えられなかった。

 

 

 

 

22612日 ナムジュン(20歳)

田舎町は少しも変わらない様子でそこにあった。季節の変化を除いては全てが一緒だった。川沿いにある店を避けるために、わざと村を大きく回り、サービスエリアの村に向かった。道は大体登り坂だった。日差しが熱くて汗をかいた。スクーターが埃を立てて俺たちを追い抜いた。テヒョンが咳払いをしたかと思うと、一言呟いた。あの事故が起きたカーブが目に入った。

 

もはや何の標識も残っていない道路沿い。テヒョンはまるでそこに誰かが倒れているかのように膝を曲げてしゃがみ込み、アスファルトの地面を見下ろした。ここに向かうバスの中で、俺はテヒョンに数年前の冬のことについて話した。川辺の食堂での競争、しわくちゃになった空から落ちて来た雪、傷を付けた”テヒョン”の顔、スクーターが滑り全身の毛が逆立つような瞬間…。”テヒョン”の事故と死、そしてそれがどれほど簡単に終わり、忘れられたか…。お願いがあると言っていた”テヒョン”の表情と、この田舎の村に住んでいたすべての瞬間、俺がその友達を”テヒョン”という名前で思い浮かべていたという事実。

 

「兄さん、俺たちは死なないようにしよう」振り向くと、テヒョンが掌をアスファルトの地面に当てて俺を見上げていた。俺は何か答えようとしたが、どんな言葉も思い浮かばなかった。テヒョンの掌の下に、白い線で横たわっていた”テヒョン”、いや、田舎の友達の姿が見えるようだった。死んでも構わない人はこの世にいない。しかし人が一人死んだというのに、誰も責任を負わなかったし、心からの追悼もしなかった。俺も同じだった。

 

「下りよう」俺の言葉にテヒョンが体を起こした。「もう?どこに行くんですか?」テヒョンの質問の返事の代わりに、俺はこう言った。「こないだ海に行った時、俺にお願いがあるって言ってただろ?もう一度話してみて。それを何が何でも一緒に解決してみよう」

 

 

 

 

22613日 ジョングク(17歳・高1)

夢を見た。宙に浮いたまま病室を見下ろすと、病室のベッドにまた別の僕が横になっていた。 ベッドの僕は眠っているようだった。どんな夢を見ているのか、閉じた目から瞳が発作的に動き、そうして何の兆しもなく目を大きく開けた。その瞬間、目が合った。

 

次の瞬間、 僕はベッドに横たわっていて、事故が起こった夜の夢を見た。 ヘッドライトは月になり、急に緑色と青色の玉のような光に変わった。 そして目を覚ましたら、もう一人の自分が宙に浮いていた。虚空の僕と目が合った。二つの視線が交差し、二つの意識が逆転した。 僕は宙に浮いた後、ベッドに横たわるのを繰り返した。 逆転と交差の速度はますます速くなった。 目眩で吐き気がした。

 

そうするうちに、わっと声を出して目が覚めた。シーツが汗でびしょ濡れだった。息が切れて吐き気がした。ふとそれまで忘れていたことが思い出された。誰かの声。”生きることは死ぬことより苦しいはずなのに。”「 大丈夫?」母が医者を呼んで状態を確認した。 医者は僕が早く回復しているから心配はいらないと言った。 打撲傷と骨折を負ったが、出血はほとんどなかった。 医者は「交通事故にしては運がいい」と話した。僕は医者を見てたずねた。

「ところで、僕を轢いた人は誰だったんですか?」

 

 

 

 

22年6月13日 ユンギ(21歳)

ジョングクの言葉が浮かんだ。

ヒョンの音楽が好きだからです。ヒョンのピアノを聞くと涙が出そうになります。一日に何度も死にたいと思っていたんですよ。でもヒョンのピアノを聞くと生きたいと思えた。だからなんです。だからそうなんです。つまりヒョンの音楽は本当に僕の心みたいなんですよ。

酒に酔って床に寝転がったままそう繰返したジョングクの表情が浮かんだ。

 

 

 

 

22年6月15日 ナムジュン(20歳)

急いでラーメンを食べる子供を見下ろした。 8歳、いや10歳ぐらいだろうか。 冷めてもいない麺を口に入れる間も、時々首を回して俺の顔色を伺った。名前を聞くと「ウチャンです、ソン・ウチャン」と答えた。 汚れがしみこんだ跡があるTシャツにラーメンのスープが跳ねると、指で擦りながら「おばあさんにまた怒られる」とつぶやいた。      

 

ウチャンを初めて見たのは2ヶ月ほど前のことだった。 ガソリンスタンドから帰る途中、後方のコンテナの前にウチャンが立っていた。 その時はソンジュ駅で外に出る近道を探して、ここに差し掛かったんだろうと思った。 コンテナ街は子供が住むようなところではない。 ところが2週間ぐらい経った後、コンテナの隣の空地で、古いサッカーボールを一人で付けている姿を見て、その後も数回ウチャンと会った。 いつも夜遅くまで一人ぼっちで、同じTシャツにズボン、同じスニーカーを履いていた。 ちらっと見ただけでも、気を使ってくれる大人がいないのは明らかだった。だからと言って俺には何もしてあげられなかった。俺は自分を大事にするだけでも精一杯だった。俺はいつもウチャンを知らない振りをして通り過ぎた。

 

今日、ガソリンスタンドの仕事を終えてコンテナ街に戻った時は、夜11時が過ぎていた。 鍵を探してポケットを探すと、少し離れた所にしゃがんだ影が目に飛び込んできた。 ウチャンだった。 いつものように気配消せばよかった。 鍵を探してコンテナのドアを開けて、一人でラーメンを食べて眠れば済むことだった。しかし今日はそんなことができなかった。 そうしたくなかった。 

 

空を見上げた。 一日中曇っていた。 夜空にも灰色の雲が重く立ち込めていた。 星明かりなど一つも見えなかった。 ふとお腹がすいた。 俺の記憶が正しければ、コンテナにはラーメンが一つしか残っていなかった。買い揃えたものもなければ、今から揃える余力もなかった。 それが俺の立場だった。  ポケットから取り出した鍵を見下ろした。田舎町を離れながら見ていた風景を思い出した。バスの車窓に書いた文字を思った。

 

俺はウチャンに向かって歩いていった。

 

 

 

 

22年6月23日 ユンギ(21歳)

チャットルームに通知が来ているのを見つけて携帯電話を開いた。いつしか窓の外が暗くなっていた。これまでに手をつけた音楽を全て集める作業は容易ではなかった。無作為に焼き払う過程で生き残ったものと、記憶の中の旋律を集めて分類した。その中で一番多かったのは、驚いたことに高校時代、倉庫の教室で作ったものだった。振り返ってみても、あの時俺が音楽作業をたくさんしたとは思えない。その時の俺は、いやどの時代の俺でも、俺はいつも音楽から逃げていた。

 

チャットルームを開くと、既にかなり会話が進んでいた。チャットルームを作ったのは意外にもジミンだったが、俺を招待する前にも会話があったらしく、話は突然始まった。テヒョンが皆に聞いた。「魂の地図が何なのか知っていますか?」ホソクが反応したのはしばらくした後だった。「何それ?」テヒョンが答えた。「兄さん、それを俺が知ってたら聞きますか?」「まあ、そうだ。で、それは何で?」そんな会話がいくらか交わされ、ジミンが一部始終を説明した。病院に行って、ソクジン兄さんを偶然見かけたが、魂の地図というものを探していたということだった。

 

ナムジュンが登場したのはずっと後だった。「前にソクジン兄さんが、俺にも魂の地図が何か知っているかと聞いた事があるんだけど、その時、兄さんがこう言った。魂の地図がこの全てを終わらせる方法だと」そしてしばらく会話が続かなかった。おそらく皆考え込んでいただろう。”ソクジン兄さんが終わらせなければならないこと”はなんだろう。兄さんがおかしくなったことは皆が察していた。それじゃあ、魂の地図というものを探せば、兄さんはよくなるのだろうか。それは一体何であり、どこで探せるのか。

 

しばらくして続いた会話は、このようなものだった。「このチャットにジョングクは呼ばなかったの?」ジミンが答えた。「僕も考えてみたんですが、ジョングクはまだ体調が悪いじゃないですか」ジミンは自信がなさそうに言葉を濁した。ふとジミンがなぜ病院に行ったのかと思った。長い間閉じ込められていた病院を訪れた心は、どうだったのだろうか。俺は閉じていたチャットルームを再び開いてこう書いた。「ジョングクはもう少し休ませておこう」

 

 

 

 

22年7月18日 ジミン(19歳・高3)

僕はコンビニの近くをうろついて時間を潰した。ソンジュ第一中学校の裏側。この塀を乗り越えてこっそり抜け出したりもしたし、コンビニの向かいの小さな公園で、兄さんを待ったりもした。周りを見渡してみた。久しぶり訪れたこの街は、変わっていなかった。ユンギ兄さんとジョングクの家が近かった事を思い出した。周囲を見回し、通りの右路地奥にグラフィティのようなものが見えた。テヒョンが描いたようだった。そこへ足を運んだ。

 

絵の前で思わず立ち止まった。荒く黒い線で描き殴られたそれは、暖かさを失った誰かの顔だった。その顔の持ち主が誰なのか、僕は知っていた。ソクジン兄さんだった。兄さんを思い浮かべた瞬間、また別の人の顔が重なった。よくよく考えてみると、何一つ似ていなかった。ところが、その二つの顔はそっくりに見えた。二人は同じ目をしていた。魂が入っていない目。その時になってやっと分かった。僕は誰を訪ねなければいけないのか。

 

 

 

 

22年7月18日 ナムジュン(20歳)

建物を見上げた。あちこちに明かりが付いていた。市役所の近くだからか、会計事務所や法律事務所の看板が多かった。そして最上階の5階には、全層に光がついていた。最後の数週間で俺とテヒョンはソンジュ市の高い建物を全て昇り尽くしていた。

 

探して何になるのかは俺達も知らなかった。手掛かりはテヒョンの夢だった。夢の中で見た缶コーヒーと四つ葉のクローバー。そのふたつの手掛かりを元に、俺達は一晩中建物を昇り降りした。何日かは雨も降った。最初は傘を差していたが、すぐそのまま打たれるようになった。そうしていると文句を言われることもあった。

 

びっしょり濡れたまま建物の階段を駆け上がっていると、不良青年だと思われて追い出されたりもした。屋上の鉄扉はロックされているのがほとんどで、踊り場の窓からでは確認出来なかった。

 

また建物を見上げた。結局これを見つけるべきだったのかと思った。窓には見慣れた名前が書かれていた。”会議員キムチャンジュンオフィス”

「誰ですか?」テヒョンが尋ねた。「知らない?」テヒョンの方へと振り向いた。テヒョンは大人しく何も知らないという目で俺を見た。キムテヒョンには時々、こういう困った気持ちになることがあった。どうしてこんなことも知らないのか、ということをキムテヒョンはあまりにも堂々と知らなかった。とても怖くて見れないようなことを、キムテヒョンは躊躇いなく覗き込んだ。誰も手を出そうとしない時、キムテヒョンは頑なにその手を掴んで離さなかった。俺は答えた。「ソクジン兄さんの父さんじゃないか」

 

 

 

 

22年7月22日 テヒョン(19歳・高3)

どのくらいそこに座ってたんだろう。3階の廊下で誰か歩いて出ているのが見えた。

かなり距離があり顔は見えないが、やせた体型の中年の女性らしい。その女性は廊下の手すりに両腕をかけて、子供の遊び場を見下ろした。そしてタバコに火をつけた。ライターの火花がきらきら光って消えた。青い夜明けの空気にタバコの煙が広がった。

 

俺は微動だにせず、その姿をじっと見た。日が昇りだしたのか、あたりが白々と明るくなった。女性は、依然として手すりに腕をかけて外を眺める姿勢のまま、もう1本たばこを取り出して火をつけた。

 

あの人も俺も見ているのではないかと思った。遠くて俺の顔は見えないだろうが、夜明けに遊び場のブランコに座っているの人を見て何を考えただろうか。ブランコがきしまないよう、両手足に力を入れて支えた。タバコの明かりが消えたり、大きくなるのを繰り返した。日が昇っていた。明るく浮かび上がる光を受けて、女は最後のタバコを燃やした。そして背を向けて内側に消えた。俺は左からドアを数えてみた。304、305、305。そうするとあのドアは、母の家だった。

 

 

 

 

22年7月23日 テヒョン(19歳・高3)

俺達は教室の真ん中で立ち止まった。携帯電話のフラッシュライトの下に、古い机とくるくると乾燥した行事のプラカードが現れた。誰も出入りしない教室は、更に古くなっていた。周りを見回してみた。ここで何をしていただろうか。ジミンは少し離れた壁の前にしゃがんで座り、ユンギ兄さんはピアノの前に腰掛けていた。ナムジュン兄さんが窓に指で何かを書いていた。

 

高校の時みたいだ。真夜中の学校でこんなふうにしていた。しばらく時間が経った後、ナムジュン兄さんが言った。「高校なんて俺はお断りだった」ユンギ兄さんがクスッと笑って言った。「世の中はなんでこうなんだろうな。この世の中は俺達が作ったわけじゃないだろう。生まれたら、もうこの世の中だったじゃないか」「なんでこの世の中に、為す術もなく居続けなくちゃならないんだろう」ナムジュン兄さんは言った。

 

「あ、ここを見てください」ジミンが身体を起こしながら言った。「ここ、ソクジン兄さんの父さんの名前がある」ジミンが示す所に近づいていった。壁に書かれた落書きの中に、何人もの名前があった。フラッシュライトがその全員の名前を見て回った。ジミンが別の名前を指していた。「精神病院のおじさんだよ。他の人は知らないけど」ユンギ兄さんが別の名前を指した。「行方不明者でしょ?」ナムジュン兄さんが、その名前の下に書かれている文章を読み上げた。”全てはここから始まった。”

 

 

 

 

 

 

22年7月24日 ジミン(19歳・高3)

コンテナの近くに着いたのは約束の時間の少し前だった。 ジョングクの退院を祝う席だったが、それだけではなかった。 ソクジン兄さんに話したいことがあった。 兄さんにとって重要な言葉のようだったが、同時に兄さんに好かれそうにない気もした。 僕はコンテナに入る代わりに、線路沿いを少し歩いた。 列車が一度通り過ぎながら、風が吹き荒れた。プラットホームは人でいっぱいだった。その間に約束した時間を過ぎてしまった。 向きを変えて深呼吸をした。          

 

コンテナには誰もいなかった。 夏の日差しで熱くなった空気だけが、待っていたかのように押し寄せるだけだった。約束の時間より10分遅れた僕が、一番先に到着した人だった。 みんなはどうしたのだろう。 急に何か事情ができたのか。近づいてやって来てはいるのだろうか。扇風機をつけながらコンテナの中を見回した。久しぶりに訪れたナムジュン兄さんのコンテナは、”パーティー”という言葉に似合わないくらい静まり返っていた。 机の引き出しから紙を取り出し、ペンで ”ジョングク退院おめでとう” と一字一字大きく書いて、コンテナの壁に貼った。それだけではみすぼらしい気がしてならなかったが、何もしないよりはよりマシだった。          

 

チャットルームを通じて全員が来ていることを確認する間、さらに10分余り時が過ぎた。開けておいたドアの外に列車が通り、コンテナが振動した。ガタガタ震える世界を眺めながら、病院のドアを開けて飛び出した時を思い出した。兄さんたちが、テヒョンとジョングクがいなかったら、僕はそのドアを開けて出ることができただろうか。ドアがそこにあるからといって、そのドアが開いているからといって、皆が出てくるわけではない。ソクジン兄さんも、どこかに閉じ込められているのではないだろうか。ドアを叩いてくれる誰かを待っているのではでないだろうか。確実なことは何もなかった。本当に役に立つかもしれない。でも、僕たちが手探りで見つけた切れ端が小さなヒントにでもなるなら…。 思いついた時に、コンテナのドアがぱっと開いた。それからユンギ兄さんが入ってきた。

 

 

 

 

22年7月24日 ホソク(20歳)

「ソクジン兄さん、兄さんの父さんに一言でも言ってくれませんか?兄さんは知っていますよね。その場所が僕にとってどんな意味を持つのか。養護施設は僕の家です。そしてそこに住む子供たちは、養護施設が無くなったらバラバラになってしまいます。再開発なんて養護施設を除いてやることもあるじゃないですか」

コンテナに入るなり、脈略もなしに切り出した。皆が驚いた目で僕を見た。ただ一人、ソクジン兄さんだけは表情を変えなかった。僕がほとんど泣きそうになりながら話しても、兄さんは何ともない顔で僕を見ていた。

 

「既に決まったことだよ。俺に出来ることは何も無い」兄さんの一言一言が、ゆっくりと僕に押し寄せてきた。その一言は、僕と兄さんの間にははっきりとした線が引かれていることを表していた。兄さんは決定を下す世界に属し、僕はその決定に抗議することも出来ない世界にいた。僕はソクジン兄さんを友人だと思っていたが、本当の世界では、兄さんと僕の友人関係は成り立たないのでは無いかと思った。

 

僕はついに兄さんに怒った。「兄さんは何故そんなことを言うんですか!」と叫び、助けてくれと懇願した。しかし、その時にも気付いていた。それはただ声に出しただけで、僕に出来ることは何も無かった。だからこれは兄さんに向けた言葉、兄さんに向けた怒りではなく、僕自身に宛てたものだった。何も出来ない、何も持たない存在である僕に。

 

 

 

22年7月24日 ジョングク(17歳・高1)

コンテナの壁には”ジョングク退院おめでとう”と書かれているが、そんな雰囲気ではなかった。不思議な緊張感で、狭いコンテナの中の空気は、張り裂けそうに膨らんでいた。振り返ってみると最近はいつもそうだった気がする。

 

ソクジン兄さんが外に出て行ったのは一瞬だった。テヒョン兄さんが急いでついて追いかけ、他の兄たちも視線を合わせながらついて行った。テヒョン兄さんが何か言ったが、ソクジン兄さんは聞いていないようだった。僕は兄さん達の後ろで、ソクジン兄さんが車に乗る姿を見た。        

 

車は軽くバックし、横向きに旋回した。コンテナから流れ出た明かりが車体を照らした。バンパーにできた事故の跡がちらっと見えた後、闇に葬られた。おかしいのは、それを見ても何ともなかったということだった。すでに知っていた事を確認したに過ぎないとしても、手で触れられる固い事実の前に立てば、複雑な気持ちになったり、ショックを行けたりすることもできたのに。            

 

暗闇の中に消えていったソクジン兄さんの車の上に、その夜僕に向かって近づいてきたヘッドライトの光が重なった。体がぶんと浮きあがってきた感じ、唾を飲み込むことも息もできない瞬間、突然全身が発作的に揺れたときの恐怖。死の影、その瞬間見た車の、バンパーの事故の跡。

 

コンテナ中に入った。”ジョングク退院おめでとう” ジミン兄さんの字を見ながら椅子に座った。ふと事故の時に怪我した足がずきずきとした。兄さん達はなかなか入ろうとしなかった。何か僕が知らない話をしていた。

 

 

 

 

22年7月26日 ジョングク(17歳・高1)

気付いたら、バスの停留所だった。どれほど歩いたのか振り返ったが、病院はもう見えなかった。バスを待って乗った。”そこ”に向かうバスだった。計画していたわけではないが、もしかすると心の中では知っていたかもしれない。僕はもう一度そこに行かなければならなかった。そこであったことの意味を確認しなければならなかった。車窓を通り過ぎる夏の天候を眺めながら思った。”兄さんたちを信じる事ができるだろうか”

 

僕が降りるとバスはすぐに出発した。土埃が立つ事故現場までゆっくり歩いた。あの夜が思い浮かんだ。大きな月が夜空に浮かんでいた姿、ひっくり返った世界、逆転した視線の中に入って来たヘッドライトの光、僕を通り過ぎて消えた車の形、テールランプの赤い光…。なぜか聴き慣れたエンジンの音。

 

その日のようにアスファルトの道路に横になった。頭を折って空を見上げた。日は暗くなっていたが、月は見えなかった。静かな道ではあったが、もし車が走って来たら、僕を見つける事ができなければ、また事故を起こしかねない。そう考えながら、もう一度自分自身に尋ねた。”兄さんたちが信じられないなら、僕は誰を信じるべきだろうか。”

 

 

 

 

22年7月31日 ホソク(20歳)

 ハゴク市の第一印象は、ソンジュ市とは似ているがより活気があるということだった。僕は足早に駅のホームを抜けていく人々の後ろで、のろのろと歩いた。ゆっくりと歩くのは僕らしくない事だった。ところが僕は、周りの人の邪魔になるほどゆっくりと歩いた。まるでチョンホソクらしいことは何もしないと誓ったかのように振舞った。周りに気を遣わず好き勝手に行動した。普段食べない辛い料理を食べて、会計でごちそうさまも言わなかった。周りに誰もいなければ、道路に唾を吐いたりもした。

 

ネットの地図を見ながら店に着いた。高校に近い商店街の1階だった。隣は文房具店と24時間のキムパプ店があった。気味が悪いほどソンジュ市のツースターバーガーと似た位置にあった。もしここに引っ越してきたら、どの辺の家を見つければ良いかと見て回っていると、通りすがりの人とぶつかった。「すいません」思わず息を飲んで立ち止まった。その人は目に力を入れ、非難の眼差しで僕を見た。「ちゃんと前を見て歩いてください」ハゴク市のチョンホソクは24時間自分勝手で、ろくでもない、頭がおかしい、間抜けな奴だった。そんな錯覚を僕は5秒ほど感じた。「ホソク兄さん、ですよね?」見知った顔だった。

 

 

 

 

22年8月2日 ユンギ(21歳)

ソクジン兄さんに音楽ファイルを送って横になった。 倉庫の教室から持ってきた楽譜を探していたら、余白に文章が書いてあるのを見つけた。”一緒なら笑うことが出来る。”俺の字ではなかった。いつかのことが思い浮かんだ。 霧が濃い日だった。たまたまソクジン兄さんと二人でをグラウンドを横切っていた。お互いぎこちなかった。俺はポケットに手を入れてゆっくりと歩いた。先に行ってほしかったが、兄さんそうしなかった。その代わり、中途半端に会話をしようとして、その度に一層ぎこちなくなった。 思わず聞いた。「兄さんが最後に本気で笑ったのはいつですか?」兄さんは答えなかった。 俺もそれ以上聞かなかった。

 

”一緒なら笑うことが出来る。”この文章は、俺の質問に対する答えのようだった。兄さんが書いたという確信はなかった。でもそれは必要なかった。 楽譜に書かれたメロディーは幼稚なものだった。たった2年前だが、その時の音楽は未完成で乱暴だった。スムーズにつながらず、美しくもなかった高校時代を思い浮かべると、酒に酔ってふらふら歩き回ったことだけ思い出したが、必ずしもそんな日だけではなかったようだ。一晩中、あの時の音楽の手直しをした。こんな名前をつけた。”一緒なら笑うことが出来る。”

 

 

 

 

22年8月3日 ソクジン(22歳)

ふと床に置かれた写真に写るシーンが、動いたように見えた。ホソクとジミンの笑い声が聞こえたかと思えば、ジョングクが振り返って見た。次の瞬間、ユンギのピアノの音が流れた。ナムジュンとテヒョンが笑いながら浜を走っていた。その全ての瞬間が写真に打ち上げられた映像のように空中に浮かんだ。音楽が流れ、笑いが爆発し、日の光が溢れた。瞬間と瞬間が重なり合い、映像と映像が重なって続き、心の中にあった何か分からないものが解放されたようだった。それは血管を通して体の隅々に広がっていった。頭の中をいっぱいに防いでいた物が崩れ、爆竹が破裂したかのように記憶が溢れ出た。一度は解けた記憶は正気を保てない程の旋風を巻き起こした。部屋全体が記憶に輝いていた。悲しく、懐かしく、辛く、楽しい記憶が渦巻いた。それを見て信じられない気分だった。どうして僕はこの全ての瞬間を、忘れる事が出来たんだろうか。そうするうちに発見した。僕の内ポケットで何かが光を放っていた。

 

 

 

 

22年8月3日 ジョングク(17歳・高1)

殺さないで何してんだ?」誰かの切羽詰った叫び声に、僕は思考から抜け出した。 スクリーンではシューティングゲームが広がっていて、ヘッドホンからチームメンバーが「敵が現れた」と叫んだ。僕はすぐにマウスを握った。狂ったように銃を撃った。 撃たれた相手は空気の抜けた人形のようにばたばたと倒れた。マウスを動かしてマップを回った。 鉄道がマップの中央を横切っていた。鉄道のそばには大きなコンテナが点在していたまるでソンジュ駅とコンテナ街を見ているかのようだった。

 

武器を持ち替えた。連射できるマシンガンだった。 少し離れた所から黒いフードを被ったことが現れた。 銃を向けると一瞬知っている人のような気がした。 敵軍は一発で倒れた。次々と現れる敵に向かって、二度も考えることなく、銃を撃った。僕も気づかないうちに、兄さんたちが思い浮かんでいた。くすっと笑いが出た。そういえば、兄さんたちは若く見えた。一つ一つ制圧して進んだ。 コンテナから出る相手を見た途端に撃ってしまった。 床に倒れた相手をちょっと見下ろした。ナムジュン兄さんだと思うが、誰かが撃った弾が肩に当たっていた。マウスで視線を動かすと、銃を持っている敵が見えた。 ソクジン兄さんだった。 瞬く間に敵意が屈服した。

 

 

 

 

22年8月12日 ジミン(19歳・高3)

震えている幼い子供を僕は抱き締めた。湿った身体に心臓が速まるのを感じた。僕はたどたどしく話した。「もうちょっとだけ待って。君はもっと良い友人に出会うだろうから。友達と一緒なら、もっとマシな人間になれるよ。その頃になれば、きっと大丈夫になっているはずだよ。だから少し、もう少し頑張って、僕」 僕は言葉を終え、”僕”をもっと抱き締めた。涙が出た。我慢が出来ずに泣いた。

 

どのくらい時間が経っただろうか。目を開けると幼い”僕”は消えていなくなっていた。立ち上がり、目元を拭って空を見上げた。真昼の空は雲ひとつなく綺麗で、辺りは静かだった。ちょっと離れたところに、草花樹木園の出入口が見えた。雨の痕跡はどこにもなかった。

 

 

 

 

22年8月25日 ナムジュン(20歳)

俺はそのままコンテナの床に倒れ込んだ。鉄製のコンテナの中は、既に目も開けられない程の熱気だった。顔をぐっと顰めたまま周囲を見回した。「ラーメンを買ってくるから待ってて」と言ったのが10分前だった。咳が聞こえて中を見ると、ウチャンが中で蹲っていた。ミネラルウォーターで濡らした毛布でウチャンの身体を包んだ。ドアを指して言った。「そこに走れ、ウチャン。出来るか?」外には真っ赤な炎が燃え上がっていた。ウチャンの手を握り締めた。「3で走るよ。1、2.......」瞬間、何かがドアの前に崩れた。

コンテナの横にあった材料の山が燃え崩れたようだった。土埃の中で火花が跳ねた。ウチャンと俺は驚いて身を引いた。瞬く間に出口は塞がれてしまった。

*1:スーパーで飼っている犬の名前

*2:地下に空洞が出来る事によって起こる陥没穴のこと

*3:犬の名前